|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 浜 : [はま] 【名詞】 1. beach 2. seashore ・ 波 : [なみ] 【名詞】 1. wave ・ 駆逐 : [くちく] 1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction ・ 駆逐艦 : [くちくかん] 【名詞】 1. destroyer ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
浜波(濱波、はまなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型の13番艦である。 == 艦歴 == 1942年度(マル急計画)仮称第341号艦として舞鶴海軍工廠で建造。1943年(昭和18年)10月15日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。 竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(木村進少将・海軍兵学校40期)に編入。瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、12月15日に第二水雷戦隊(早川幹夫少将・海兵44期)第三十二駆逐隊に編入される。12月25日、呉を出撃してトラック諸島まで波船団甲梯団の護衛に従事する〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030101800, pp.15〕。1944年(昭和19年)1月4日にトラックに到着後〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102000, pp.12〕、ポンペイ島に向かう輸送船松江丸(日本郵船、7,061トン)の護衛を行い、1月下旬からは島風とともにパラオ方面に派遣され、引き続き船団護衛に従事した。2月18日夜、給油艦佐多、特設給兵船日朗丸(日産汽船、6,534トン)、特設水雷母艦神風丸(山下汽船、4,918トン)とトラックからパラオまで船団を組んで護衛中、アメリカ潜水艦サーゴ (''USS Sargo, SS-188'') の雷撃により日朗丸が沈没して佐多が航行不能となり、浜波は対潜掃討を行った〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102100, pp.9〕。 その後、リンガ泊地に進出。5月14日からは前進根拠地のタウイタウイ方面で対潜警戒に従事。6月19日のマリアナ沖海戦では丙部隊(第三航空戦隊、戦艦大和、武蔵など。栗田健男中将・海兵38期)に属した。海戦後、6月22日に中城湾に立ち寄った後〔木俣『日本戦艦戦史』401ページ〕、6月24日に柱島泊地に帰投した〔木俣『日本戦艦戦史』402ページ〕。7月9日、大和、武蔵、第四戦隊など第二艦隊(栗田健男中将)の中枢を護衛して臼杵湾を出撃。途中、沖縄の第三十二軍(渡辺正夫中将)に対する輸送任務を行い、任務終了後はリンガ泊地に直接向かって7月16日に到着。訓練に励んだ。 10月18日、捷一号作戦発動に伴って栗田中将の第二艦隊はリンガ泊地から出動し、で補給の後、10月22日に出撃した。10月24日からのレイテ沖海戦では第一部隊に属して戦闘に参加。10月26日朝、第二水雷戦隊旗艦の軽巡洋艦能代が第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機の空襲を受けて沈没し、浜波は秋霜とともに早川少将、能代艦長梶原季義大佐以下第二水雷戦隊司令部や能代乗員の大部分を救助した〔『軍艦能代戦闘詳報第三号』pp.10 、木俣『日本水雷戦史』530ページ〕。海戦後はコロン島で補給の後、ブルネイ湾に帰投〔木俣『日本水雷戦史』530ページ〕。その後、マニラに進出した。 11月9日未明3時、浜波は多号作戦第三次輸送作戦を護衛してマニラを出撃〔『多号作戦戦闘詳報第二号』pp.9〕。11月10日21時、第三次輸送部隊はマスバテ島東方のブラックロック水道で、先にオルモック湾への輸送を行った第四次輸送部隊(木村昌福少将・第一水雷戦隊司令官・海兵41期)とすれ違い、初春と竹を第四次輸送部隊に移した上で、朝霜、長波、若月を第三次輸送部隊に加入させた。第三次輸送部隊は11月11日の正午ごろにオルモック湾に到着する予定であったが、その直前に第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機347機〔木俣『日本水雷戦史』559ページ〕による空襲を受けた。浜波は艦首に被弾して艦首が垂れ下がり、他に三発被弾して舵も損傷した〔田村, 164ページ〕。重傷を負った大島一太郎司令(海兵50期)と駆逐艦長本倉正義中佐(海兵51期)を含む乗員11名が横付けした朝霜に救助された後、艦は放棄された。この後、先に沈没した長波駆逐艦長飛田清少佐(海兵56期)が生き残った長波乗員数十名を引き連れて、いまだ浮いていた浜波に乗り移った〔橋本, 265ページ〕。飛田少佐は乗員を各部署に配置させて機関の再始動にも成功したが、マニラ帰投に必要な缶用の真水が欠乏していたので浜波を陸上砲台にしようと決心した〔橋本, 266ページ〕。しかし、潮流に流されて擱座に失敗し、浜波に残っていた糧食で夕食をとった後就寝〔橋本, 267ページ〕。翌12日、飛田少佐以下の長波乗員は浜波を離れ、陸上から迎えに来た大発に移ってレイテ島に上陸した。浜波の船体がその後どうなったのかは定かではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜波 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|